“誰もが、誰かのスーパーマンになれる”──そして物語は加速する
前編ではスーパーマンとレックス・ルーサー
本作の中心となる善と悪を見つめた。
そして後編ではユニバースそのものをみつめていく。
爆走するガン節の演出、個性全開の超人たち
無軌道なマスコット、民衆の叫び、そしてユニバース展開への布石。
などについてピックアップしていく
スーパーマン、レックス・ルーサー中心の前篇記事は
こちら↓
ジャスティス・ギャング─魅力的すぎる超人トリオたち
この世界には、スーパーマンひとりではない。
OPで示されていた通り、他にも“超人”たちが生き、闘っている。
その中でも本作で彗星のごとく登場したのが、3人の協力者チーム『ジャスティス・ギャング』。
単なるサイドキャラと思いきや、ネーミングとは裏腹な本気のヒーロー集団
──今や“推しチーム”の筆頭だ。
MR.テリフィック─やらかさない天才
DCコミックでもトップ3に入る頭脳を持ちながら、身体能力も超人級。
しかも、アメコミ天才あるあるの“やらかし”がまったくないという安定感。
本作では、駐屯地でのロイス救出戦を筆頭に、知略と武力を両立させる活躍を見せ
まさにMVPと呼ぶにふさわしい立ち位置を獲得した。
- 新規ファン獲得率:文句なしのNo.1
- ロイスとの会話における人間味も魅力的
- 360度無双演出の凄さは言わずもがな
- そもそも彼がいないと今回の事件は解決の糸口が無い

演者:エディ・ガテキは
MARVEL映画『X-MEN:ファーストクラス』でダーウィンを演じ、無残な死を遂げた彼。
その記憶を塗り替えるような“正真正銘のヒーロー役”がついにきた。
過去の悲劇を抱いたまま、今度は救う側としてスクリーンに立ったその構造だけでも胸熱。
ガイ・ガードナー──横柄コメディからの逆転劇
宇宙の秩序を守る戦士・グリーンランタンとして登場したのがこの男。
原作では数々のトラブルを巻き起こしてきた“やらかし”キャラだが、
本作ではほどよく横柄、ほどよく無鉄砲、そして何よりめちゃくちゃ面白い。
- コメディ・リリーフ枠として機能しつつ
- 終盤では“政治には関与しない”と言いながら紛争地帯へ突撃
- 中指無双👆👆👆👆👆👆👆👆

演者:ネイサン・フィリオンは
ガン監督作品には『スリザー』から数えて6作出演。
いわば“ジェームズ・ガンファミリー”の一員であり
こうしたキャラを自在に演じられる“信頼の演技力”が魅力
ホークガール──空から奇声で飛び込む戦女神
モーニングスター片手に空から鳥のように奇声を上げて突進してくる
というコンセプトが既にかっこいい彼女
劇中で誰もが一発ぶん殴りたいある人物に
気持ちのいい一撃をキメてくれる事も◎
- メチャクチャ美人で普段は割と大人しい
- でも戦い方が一番野蛮そうなのと全く忖度しない振る舞いがグッド
- XMENファーストクラスのバンシーを想起させる飛行スタイルが映画ファンをくすぐる

演者:イザベラ・メルセドは
『マダム・ウェブ』『エイリアン:ロムルス』など
メジャータイトルで存在感を放つ若手女優。
もはやエイリアンをミンチにしてそう…!
制御不能のクリプトくん─忠犬にして反逆児
この映画には、重厚なテーマもあれば、軽快な演出もある。
そしてその真ん中で物語の温度を操っている存在がいる
──スーパードッグ、クリプトくんだ。
劇中では、コメディとシリアスを縦横無尽に行き来し
主人公たちの闘いを支えたり場をかき乱したりと大忙し。
単なる可愛いマスコットではなく、むしろこの物語に“体温”をもたらす不可欠なキャラクターだ。
その無軌道ぶりは、まさに制御不能。でもそれが、たまらなく愛しい。

驚くべきは、そのモデルがジェームズ・ガン監督自身の愛犬“オズ”だという事実。
映画史の巨匠・小津安二郎から名をもらい、オズは生後1年で監督の自宅を破壊。
家具、靴、さらにはパソコンまでズタズタにする“リアル・スーパードッグ”ぶり。
このやらかしエピソードが、ほぼ忠実にクリプトへ落とし込まれているというから驚きだ。

無邪気で暴走気味で、だけどしっかりと“物語の中で意味を持つ”キャラクターとして活躍するその姿。
まるでGOG VOL.2に登場したベイビー・グルートの再来だ。
ジェームズ・ガン監督が“無軌道マスコット”を使うとき、それは単なる癒し要素ではない。
むしろ、観客の心を解きほぐし、ヒーローたちの感情を代弁する“エモーショナルな装置”なのだ。
ジェームズ・ガン節が冴える戦闘の数
この作品がただのヒーロー映画じゃないと感じる瞬間――
それが、“音楽とアクションがシンクロする”あの戦闘シーンだ。
本作でもしっかり健在だったジェームズ・ガン節。
ポップミュージックに乗せて展開する戦闘描写は、もはや彼の代名詞とも言える。
今回はMR.テリフィックがロイスを連れて駐屯地で無双する場面が、それに該当する。
使用された曲は、Noah and the Whaleの「5 Years Time」
バリアで守られたロイス目線の360度カメラワーク、縦横無尽に飛び回るテリフィックの動き。
軽快で爽快感に満ちた長回し風のカット構成は、観客を完全に画面へと没入させる。

この演出を観たとき、ファンなら思い出すだろう。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの数々の戦闘演出を。
- GOG1では「Come and Get Your Love」に合わせてスターロードが闊歩
- GOG2ではヨンドゥとロケット・ラクーンが共闘しながら重低音で突き進む
- GOG3では通路でのバトルを一気に通す圧巻のシーケンス
どれも音楽がキャラクターの心情や世界観とリンクし
戦闘そのものを“踊るようなショーケース”に変える。
今回の『スーパーマン』でも、同様にリズムと構図が融合し
“闘いの楽しさ”を最大限まで視覚化している。

さらに、ロイスとスーパーマンが怪獣対応をジャスティス・ギャングに任せて“イチャつく”シーン。
この構成は、まさしくGOG VOL2のオープニング。
バトルの真横でベビー・グルートがノリノリで踊っている例の構図だ。
本筋の戦闘と人間ドラマを同時進行させる、あの“余裕とユーモアのバランス”をしっかり再現している。

ジェームズ・ガン監督と制作陣が、過去作で培った演出スキルをさらに昇華させたような瞬間。
この戦闘シーンひとつで、スーパーマン世界が新たなテンションを獲得した。
戦いが「重さ」ではなく、「躍動」として描かれる感覚。
それこそが、DCユニバース再起動の醍醐味だろう。
号泣ポイント──民衆が名を叫ぶとき
本作最大の感情ピーク、それは紛争地帯に響く“スーパーマン”という名の連呼だった。
敵対勢力だけでなく、味方側の人間にも否定され続けていたスーパーマン。
その孤独と葛藤は前編でも丹念に描かれていたが
後編ではそれが民衆によって救済される瞬間が訪れる。
少年が掲げた旗には、スーパーマンのシンボル。
周囲の人々が躊躇いなく声を上げ、叫び続けるその名。
それは、どれほど情報が操作されようとも、体制が否定しようとも、
彼が今日まで“省みずに闘ってきた姿”を見ていた者たちがいる証だ。
この世界において信頼できるものは何か。
本作は、民衆の側からその答えを提示する。
誰よりも自己犠牲を背負って生きてきたスーパーマン
──彼は間違っていなかった。
その信念と行動が、言葉を越えて人々の心を動かしたのだ。

そして、もうひとつ静かな涙腺直撃シーンがある。
「ブーツを磨いておいたわよ」と語るクラークの母。
世間からのバッシング、孤独な闘争。
それらを抱えてなお、彼の帰りを信じて待つ家族の温もり。
父との対話に比べて演出的には一瞬の描写だが
そこに込められた家族愛が実に強い。
ここまで社会から非難されても、市井の人々や身近な家族は彼の“存在”を信じている。
そんな構造は、まるでサム・ライミ版『スパイダーマン2』の電車でのシーンを思わせる。
都市の片隅で信頼と尊敬を積み上げるヒーローが
やがて大きな声援に包まれる──そんな“小さな真実が広がる瞬間”の美しさがここにはある。

ユニバース展開──ここから始まる“再構築“
2025年版『スーパーマン』は、
新しいDCユニバースの起点として位置づけられた、まさに“物語の核”。
このスーパーマンの信念と人間性が
今後登場するヒーローたちの基準になる。
既に、同じ世界観で展開する新作として──
- スーパーガール
- バットマン
ユニバースを共有したタイトルが予定されており
そして、この流れを牽引するのはジェームズ・ガン監督。
ユーモアと哲学を織り交ぜながら、最高峰のエンタメ映画にまで昇華した本作の派生作品
ジェームズ・ガン監督が描いた『スーパーマン』の新たな一歩
ここからDCは、再び“希望の物語”を紡いでいく。

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