公開日 2025年3月20日
上映時間 120分
監督 エドワード・ベルガー
脚本 ピーター・ストローハン
原作 ロバート・ハリス(小説『Conclave』)
キャスト レイフ・ファインズ スタンリー・トゥッチ ジョン・リスゴー イザベラ・ロッセリーニ カルロス・ディエス ルシアン・ムサマティ ブライアン・F・オバーン メラーブ・ニニッゼ セルジオ・カステリット
全世界に14億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派、カトリック教会。
公式サイトより抜粋
その最高指導者にしてバチカン市国の元首であるローマ教皇が、死去した。
悲しみに暮れる暇もなく、
ローレンス枢機卿は新教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>を執り仕切ることに。
世界各国から100人を超える強力な候補者たちが集まり、
システィーナ礼拝堂の扉の向こうで極秘の投票が始まった。
票が割れるなか、水面下で蠢く陰謀、差別、スキャンダルの数々に
ローレンスの苦悩は深まっていく。
そして新教皇誕生を目前に、厳戒態勢下のバチカンを揺るがす大事件が勃発するのだった……
debuwo評価 88点
おすすめ度 ★★★★(星4)
筆者によるレビュー動画
密室で行われる、パワーゲーム宮廷劇
教皇が亡くなると、新たな教皇を選ぶ“コンクラーベ”が始まる。
この神秘と伝統に満ちた儀式は、バチカンのシスティーナ礼拝堂という密室で行われ
枢機卿たちは外界と遮断されながら投票を繰り返す。
本作『教皇選挙』では、この荘厳な儀式がまるで
『カイジ』や『LIAR GAME』のような“投票型心理戦”のように描かれている。
日を追うごとに動く票、変わる勢力、明らかになるスキャンダル──
密室劇だからこそ描ける“静かな駆け引き”が、緊張感を生んでいる。

宗教知識ゼロでも楽しめる“知的エンタメ”
この映画の良さは、宗教に詳しくなくても楽しめる設計になっている点にある。
登場人物たちはそれぞれに背景や信仰を抱えており
視聴者は彼らの“変化”や“立場の揺れ”に自然と引き込まれていく。
とくに重要な歴史的・制度的要素は作中で丁寧に語られるため
安心して人間ドラマに没入できる。
「信じる者たちの中に潜む揺らぎ」と
現実の境界を取り巻く状況を反映させた人物達が、この映画の魅力だ。
最有力候補であり、同性愛差別者であるアディエイミ。
最高裁判事クラレンス・トマスがモデルとされ
彼のゴシップは米カトリック教会の性加害問題のメタファーとも言われている。
買収と政治的暗躍の象徴とも言えるトランブレ。
彼は演者がジョン・リスゴーと言うだけで特に怖い演出はないが存在が怖い。
庵野秀明氏とジャンレノを足して二で割ったような顔で
超タカ派のテデスコは、終盤の演説にパワーがあり舞台装置的な悪役的な存在感がある
そして物語のカギを握る秘密裏に枢機卿の地位が与えられたベニテス枢機卿。
多くの個性的な枢機卿が登場する。

ローレンスという男の理性と欲
やはり最も存在感があるのは
映画の語り部でもあるローレンス枢機卿。
最も尊敬する前教皇が亡くなった事により
自信の信仰にさえ疑いを持つ誠実さ
穏やかで冷静、バランス感覚のある人物──と思われていたが、
彼自身も過去を抱え、欲望に動かされかける瞬間がある。
「まさか自分が教皇に選ばれることなど…」と語る一方で、
“自分が選ばれたら『ヨハネ』という名を選ぶつもりだった”とスラッと答えてしまう。
これが、ローレンスの人間らしさであり
“葛藤を内に宿しながらも信仰と向き合う姿”が一気に際立つ場面だ。

アグネスの沈黙─“語らない”ことで語られるシスターの品格
推しのシーンは2日目の夜。
ローレンス枢機卿は前教皇の封印された部屋に忍び込み
トランブレの買収に関する資料を探る。
室内は静まり返っている──が、そこに突如響くエレベーターのアナウンス。
たまたま巡回に来たシスター・アグネスが、異変に気づいて足を止める。
封が解かれた前教皇の部屋。
誰かが入ったと察しながら、彼女は黙ってその場を離れる。
この瞬間はまさに、お互いの素性を知らぬ者同士が交わす“無言の駆け引き”。

「私たち修道女は裏方の存在ですが、神が目と耳をくださった」
アグネスはおそらく、侵入者が“ローレンスであり
それが職務でも野心でもなく、信仰からの行動であること”まで読み取っていたのだろう。
そして三日目。
トランブレの失脚が確定した場面で、アグネスはわずかに語る。
あの沈黙が、あの一言の重みに反転する──
これが本作における、最も静かなクライマックスの一つだろう

確かに選ばれるべき者が教皇となったが…
ローレンスが自らに票を入れようとした瞬間、
まるで神意のように響く礼拝堂の爆発音。
沈黙の中に鳴る、拒絶の音。
その直後、教皇たちがこの現状を火種に諍いを始めた際に
ベニテス枢機卿が呆れから来たとさえ思える
反論の余地もない正論の説法を始め
彼が新教皇に選ばれる──というラスト。
この展開は“意外な逆転”ではなく
“心の清さと覚悟を持った者”が選ばれる的な演出になっている。
…それは分かる
しかし、ベニテス枢機卿がこの一度の活躍で
教皇に選ばれるのは少々短絡的ではなかろうか?
高潔さや敬虔である事、思慮深い人物と言う意味では
トランブレの謀略を暴き、教皇に絶対の信頼を得るほどの人格者である
ローレンスに目が向けられるべきではなかろうか?
とは言え、ローレンスが枢機卿達から嫌われている可能性もあるので
教皇になる可能性の芽が無いにしても
自らに投票した瞬間、会場爆破は神がいるというのなら
余りにもローレンスの信仰を試し過ぎではと思う

後編へ続く
後編では、教皇名・指輪・派閥を超えた選出の現実性
そしてアメリカ社会との関係を深掘りします
後編はこちら↓
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