聖闘士星矢 The Beginning【ネタバレあり】

★★

公開日  2023年4月28日
上映時間 114分
監督 トメック・バギンスキー
脚本 ジョシュ・キャンベル
原作 車田正美
キャスト 新田真剣佑 ショーン・ビーン マーク・ダカスコス ファムケ・ヤンセン マディソン・アイズマン ニック・スタール ディエゴ・ティノコ

幼い頃に姉と生き別れた青年・星矢は、
現在はスラム街の地下格闘場で戦いながらその日暮らしの生活を送っていた。
ある日、戦いの最中に不思議な力を発したことから、彼は謎の集団に狙われる身となる。
やがて自身の内に「小宇宙(コスモ)」という力が秘められていること
そしてその力を鍛え、女神アテナの生まれ変わりである女性シエナを守る運命にあることを知った星矢は

その運命を受け入れ、厳しい修行を重ねていくが……。

映画.comより一部引用

debuwo評価 20点
おすすめ度  ☆☆(星2)

マリンとの修行編が良心

『聖闘士星矢の実写映画化』と言う意味で良かったシーンは
白銀聖闘士、大鷲座のマリンとの修行シーンくらいしか無

このシーンで描かれる、大鷲座のコスモを纏い流星拳を放つプロセスは
聖闘士の必殺技がどのようなプロセスで放たれるのか
初見にもわかりやすく且つ、原作の再現としてもポイントが高い
そしてその後に、マリンが出す課題『素手で岩を砕く』
これは、星矢修業時代に岩を拳で砕くという方法から
聖闘士の戦闘における神髄である
内なる小宇宙を燃やす方法を体得するシーンのリブートだ
修行の日々を送る事で、徐々に小宇宙を燃やす方法を身につけ
遂に岩を拳で砕いた瞬間、初めて星矢は原作同様のギリシャ出来ていた道着となり
ペガサスの聖衣を身に着ける
原作の主題歌・ペガサス幻想のアレンジも合わさり
拍手喝采とは言わないが、原作を再現しようと努力が見えるシーンだ

何だかんだで修行を付けてくれるマリンさん優しい

聖闘士星矢の良さを理解していない

マリンとの修行以外に原作再現されているシーンは無いと言っていい
完璧に原作再現をする必要はないが
その作品が人気となった要素を崩す、理解せず作ると言うのは問題だ

泥臭さと熱さ

原作『聖闘士星矢』はファンタジー北欧設定が軸となっている作品だが
男達が自らの使命や生き様に価値を見出し戦い抜く
1980年代当時としても古臭いと言われる不器用な男たちの
熱き戦いを描いたストーリーであり
自分の生い立ちの不幸をずっと引きずるような男の話ではない
描いたとしてもそれは幼少期の事で、聖闘士として闘う時は迷う事などない
現代に生きる読者や観客と同じような等身大の少年が自己を見出すのではなく
俺もこんな男たちになりたいと思わせるような
精神面が完成された男達が戦う物語こそが聖闘士星矢なのだ!

バギンスキー監督はちゃんと原作を読もう

聖闘士の闘いと聖衣の存在

聖衣というのはあくまで防具であり
確かな機能はあるのだが、聖衣を付ける事にアイデンティティを見出しているようでは
真の聖闘士とは言えず、原作では聖衣を着ている時よりも
脱いでいる時の方が強いドラゴンの紫龍がその代表とも言えるだろう
原作の各章終盤では聖衣が破壊され身一つで戦うシーンが多く
星矢達の精神力が物を言うシーンが多い、このようなシーンが無いのは
原作をロクに読んでいない事を証明しているようなものだ
いざとなったら
体一つ、心一つで
小宇宙を燃やし闘う

と言うシーンは入れるべきだっただろう

命こそ最大の武器

解釈違い過ぎるアテナ

原作への理解の無さと言えば
聖闘士が守護する対象、アテナの描写もひどい
原作のアテナ・木戸沙織は、聖闘士候補の星矢達に
ひどい仕打ちを行っていた時期もあったが
アテナとしての自覚を持ってからは、以前の負い目もあってか
常に身一つで人類を守護する女神として、慈愛を持って行動してきた
木戸沙織と言う人格を持ちながらも
アテナとしての宿命を受け入れていたのだ

木戸沙織の人格を持ったままアテナというのがミソ

一方、本作のアテナ・シエナはと言えば
個人としての人格は、いたって普通の女性だが
女神アテナは完全に別人格扱いで
場合によっては人類を滅ぼしかねない存在として描かれていた
数多の作品で、依代から顕現した神は制御不能な存在として描かれることはあるが
聖闘士星矢のアテナとしてはそれ間違いである

聖闘士星矢における女神・アテナは
どのような事があっても人類を憎むなどという事はなく
アテナの命を狙ったものにさえ、涙するほどの慈愛に満ちた存在で
星矢達の生き様と同様に、アテナの人類に対する愛も揺るがない物なのだ
全くブレずに身一つで敵地に突っ込み、人類を救おうとするアテナだからこそ
聖闘士たちは自らの死を厭わず戦うことに納得ができるしストーリーに尊さを感じるのだ
気が変われば人類を滅ぼすような存在の為に命をかけて戦うのは
使命感を持って戦うというか、爆弾を爆発させないために戦っているようにしか見えない

馬になりなさい

キド家のパワーゲーム

戦う理由と言えば大筋のストーリーもひどい
原作の銀河戦争編・十二宮編・ポセイドン編・ハーデス編
これらを全く再現せずに描いたストーリーは
アテナの養父・養母のお家騒動である

今作でもノルマ達成した感あるショーン・ビーン

アテナの小宇宙の影響で両腕を失った養母がアテナの命を狙い
養父が彼女の手からアテナを護る為、星矢を聖闘士として目覚めさせ守護させる
と言うのがストーリーで、それ自体は大目に見るとしても
悪役の養母が実はアテナの命を狙ったのは
気の迷いでした的な振る舞いが観るに堪えない

  • 改造人間『暗黒聖闘士』の量産
  • 小宇宙が発現した者の命を搾取

生身の人間に戻る事が不可能な暗黒聖闘士への改造手術を行い
自らのメカニカルアームを維持する為(※命ではない)
何の罪もない人々を殺害し続けてきた養母ヴァンダー・グラード

初志貫徹でその結果命を落とすなら問題ない役だが
なんとこのキャラ、上記にある通り自分の所業を全否定
さらにアテナによりメカアームを生身の腕に変換されしっかり生きている
グラード財団の人間で誰が健やかに生きる彼女を許すというのだろうか?
あまりにもお粗末なストーリーラインだ

全く再現しない戦闘描写

  • 星座を模した構えからの必殺技
  • 車田飛び・車田落ち
  • 疾走感のあるBGM

原作・アニメ聖闘士星矢の戦闘シーンはこれらの要素で構成されるのだが
構えからの必殺技は先述の大鷲座マリンが放った流星拳くらいで
ペガサス流星拳は全く持って原作再現されておらず
構えもどちらかといえば聖闘士星矢と言うよりも
海外ドラマCobraKaiのミヤギ流空手にある構えのようだ
おまけに流星拳自体のエフェクトも持ったりしていてスピード感は皆無

フェニックスに関しては鳳翼天翔を再現する素振りすらなく
構え所か技名すら叫ばない
こんな彼らの攻防に小宇宙を感じる事など出来ようはずもない

モタァ…

車田飛びと車田落ち

技を出す描写がダメなら喰らい方もダメで
車田漫画伝統の2大被ダメージ描写
攻撃を放った人間の後方に天を見上げながら飛翔する車田飛び
その後、顔面から地面に打ち付けられる車田落ち、どちらもないのだ
原作のストーリーも描かず、迫力のある必殺技もない
車田漫画のお約束とも言える描写も無し
となれば何のために聖闘士星矢の実写映画化を作ろうと思ったのだろうか?

もったりBGM

音楽も同様に原作でよく流れていた
クラシックではあるが疾走感のあるアレンジは一切なく
それっぽい荘厳っぽさのあるBGMの多用が実に没個性的で
アメコミ映画のようなCGで人が殴り合い、それに合わせBGMを流せば
一大スペクタクルになるとでも思っている業界人特有の浅はかさを感じる作りだ

当時人気を博したアニメ版の曲が未だにゲームなどで映像化される際に
何故それらの曲が今なお変わらず使われているか考えると同時に
ちゃんとサントラを聞き返していただきたい

疾走感あるOPのアレンジは今聞いてもカッコいい

誰がこの映画を見るべきか?

散々な内容の本作だが、一部の人間にとっては
垂涎物のファンムービーの側面も持っている

アクションスター
マーク・ダカスコスのファン

彼のファンであればこの映画は見るべき作品だろう
本作では木戸沙織の執事である非戦闘要員・辰巳徳丸
彼の映画アレンジキャラ、マイロックを演じているのだが
尋常ではない扱いの良さで、それと引き換えに出演したのではないかと邪推するほどだ
原作では戦闘時全く役に立たかかったのに対して
本作では聖闘士でもないのに暗黒聖闘士を倒しまくる大活躍で
彼の終盤戦闘シーンのカッコよさは聖闘士星矢としては×だが
マークダカスコス無双としては◎を付けたい出来栄えだ

ジョン・ウィック3より動いてます

真剣佑(ダイヤモンド)は傷つかない

マークダカスコスを除けば
真剣佑君のファンも観に行くべきだろう
彼の鍛えられた肉体とアマイマスクが拝み放題で
どれだけ激しく殴られようが、顔面に蹴りを打ち込まれようが
彼の顔は傷一つつかない安心設計の映画だ

公式も彼のプロマイドのみファングッズ化されていることから
どの各層向けに作った作品なのかもわかる事請け合いだ
是非とも映画館に足を運びファン視点での忌憚なき意見で
この作品を糾弾していただくようにお願いしたい限りだ

聖衣をグッズ化せんのか…

おまけ

聖衣は言うまでもないよな!

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